こんな記事を見つけました。
http://www.sankei.co.jp/netview/yahoo/kdk/100921.html
最近はやはり子供を持つ親として子供にからんだニュースに目が行きます。
その中でも、”虐待”という文字にはいつもドキッといたします。
私はと問われれば、正直子供に手を挙げたことは何度もあります。
そのたびに自己嫌悪に悩まされますが、
そのときの気持ちの持って行きようはああしかできなかったのだと今は自分を納得させたりしています。
いまでこそ言葉がよく通じるようになり、きーっ!と腹が立つことも激減しましたが、
相手(子供)も私もグルグルのスパイラルにはまりこんでしまったときは
ぎゃんぎゃんぎゃん(怒)→パシッ→ぎゃーん(泣)→終了
が効果的だったりもします。
さて、記事の中には
”しつけのつもり”だった
という親の言葉が出てきますが、私にとって「パシッ」はしつけなんかじゃありません。
親の私が成熟していないことのあらわれだと思っています。
私が手をあげなくなったのは、ようやく一呼吸おくゆとりが出てきたのでしょう。
ただ、子供たちと接する上で気をつけていることは(夫にはそれどうなの?と思われているかもしれませんが)
ガチンコ勝負(!?)
(子供たち)こうしたい、(私)ふむふむ、でも私はこうしたい。
(子供たち)ヤダヤダこうなんだ~!(私) え~、でも私の経験的にはこうだと思う!
さあ、どっちが折れるか
同レベルの戦い・・・
託児スタッフのHさんはいつもニコニコ、うまいこと子供たちをいなしてます。
(さすが大学生と高校生のお母さん)
なかなかあの境地には至れない、至らない私。
ところで
「このまま育てたら、わがままな子に育つのではないだろうか・・・」
なんていうことも記事に書いてありましたが、私の個人的な意見として、
わがままで何が悪いんだろう・・・?
私はたぶんかなりのわがままですが、本当にわがままに生きようと思うとただ突っ張って生きるだけじゃ思うようには周りは動いてくれません。
外堀埋めたり、調整したり、おだてたり、、
本気のわがままは簡単じゃあありません。
しかも親が子供の鼻をへし折る必要がどこにあるのかなあ?
自信もたせることが親の使命だと思うんですけどね。
(だって、社会に出ればいやでも自分より優れた人たちがいっぱいいるし)
子供二人(私と弟)国公立の医学部に入れた私の父はよく言っています。
「子どもがやりたいようにやらせないと後で怖いぞ」
そんな父は私と弟で、まったく違う教育方針でした。
子供の性格見て接し方を変えていたのか・・・?
今日は長男の誕生日。
とりあえず、よくぞここまで元気に育ってくれました。えらいぞ息子!!